社内自分史 少年時代小学校

 相撲のおかげもあってか、私は小学校時代、けんか大将のひとりとして認められた。相撲のほかにも私たちはいろんな遊びをした。野球、ドッジボール、蹴り馬、敵味方に分かれて野山を駆け回る迫真のチャンバラごっこ。幸い、運動系はどれも人より少し上回っていた。 どの遊びも面白かったが、勝ち負けをともなう遊びはとくに真剣だった。人に見くびられてはいけないという思いが人一倍強かったからである。その思いや行動は、じいちゃんが亡くなってからいっそう強まった。 

不器用 

学校では強気一辺倒で通したが、学校から帰るとおとなしくて不器用な少年だった。ちょっとケガしても、死なないかと心配するくらい小心なところもあった。 あるとき、ツバメのひなを誤って巣から落として死なせてしまい、お詫びの気持ちでいっぱいで、丁寧にお墓を作ったこともあった。山だらけの田舎なので、ヘビや生き物を殺したりカブト虫などを捕まえて遊ぶ子どもも多かったが、私にはそれができなかった。 

今でも、ハエ蚊ゴキブリ以外の生き物を殺すことは避けている。人生残り少ない身なので、このまま殺生はしないでおこうと、ひそかに誓っている。もっとも、毎日のように牛肉や豚肉をほおばっている現金な自分がいるが  家のすぐ裏は大きな川で、絶好の釣り場だったが、私は釣りが苦手で、人が釣っているのをよく眺めていた。釣り人の振り回す竿の先の針がのどや身体に刺さったことも幾度かあった。 学校に行くとき、ボールだけを大事そうに抱えて肝心のカバンは忘れたり、不注意で畑の大きな糞尿壺に落ちて全身クソまみれになったり 間抜けな失敗例は枚挙にいとまがない。 

友 

小学校生活は刺激も多くて楽しかった。友だちもたくさんできた。マラソン競走で裸足の私を気遣って自分のタビをくれた一豊くん、毎朝登校のとき、合流地点で待ち合わせしたやっちゃん、いつも明るくて賑やかだったが、私が大阪へ去る日、私の乗った自動車をいつまでも追いかけてさよならを言ってくれた文則ちゃん、校外写生のとき、家に遠慮してクレヨンの新調を見合わせていた私に、気前よく自分の物を貸してくれたチヨトちゃん、腕力もスポーツも私より一枚上だが序列では私の次に甘んじてくれたチカオくん  

誰もが今思えば懐かしい存在だが、しかしその後小学校時代の仲間には残念な出来事や悲しい出来事もたくさん起きている。 幼稚園時代からずっと人気者で、町の中心部の大きなお店の坊ちゃんだった龍ちゃん、結婚してしばらくして自らの命を断った。あんなに人気者で明るかった龍ちゃんがどうして 群を抜いて可愛いくて同級生の誰もが美人で魅力的と認めていたくにちゃん、結婚してしばらくして自らの命を絶ってしまった。もし可能なら私がお嫁さんにもらって幸せにするのに

全国赤帽協会の会長にまでなり、大胆で気前が良くいつも皆を笑わせていたチヨトちゃんは、つい最近大きな負債を背負って消息不明とのこと。もし私にできることがあれば、急場の凌ぎに少しでも応援申し出たいが 男女関係のもつれで殺されたマーちゃん。喧嘩も強く正義感も強い人だったのに 社会人になって離れ離れになっても数年に一度は顔を合わせていたきょうすけくん、すえお、けいきちゃん  

私ももうすぐあの世へ行くが、あちらでまた皆んな集まりたいものだ。