【未掲載 】 超スピード結婚
「耕一、決めてきたぞ 」
1974 ( 昭和 49年 )12月だった。
九州旅行から滋賀に戻った 父がいきなり私にそう告げた。何の事だろうと思っていると「熊本の友人のところに立ち寄ったらちょうど年頃の娘さんがいて、友人もお父さんも二人が一緒になることに賛成で、話を決めてきた 」と言うのである。乱暴 な話である。本人同士はまだ会ったこともないのに、親同士が意気投合して勝手に決めたというのだ。
私の父は熊本商業高校出身で、ラグビーをしていた。かなりのレベルで、新日鉄に誘われた話もあったたと聞いている。そのラグビー部の仲間の下間さんを数十年ぶりに訪ねたのだ。
私はその頃、人生のやり直しの気持ちが強く、日々会社と家との往復で、恋人など縁遠い世界だった。また、長男なので、親が気に入ってくれる話があれば、それが一番ハッピーと考えてもいた。
そんなわけで、父からの話を前向きに受け止めるとともに、見せてもらった娘さんの写真は笑顔も可愛らしく、内々、心は大きく傾いた。
「年明けに、会いに行ってこい 。」
急で、無茶な話である。
正月早々、たった一人で相手の家を訪ねるようにとのことだ。
熊本に着いて先ず、唯一の親戚筋の浦上さんのお宅を新年挨拶のため訪問した。積もる話の後、熊本に来た用件と訪問予定先を告げると、浦上さんは驚いた。
「その下間さんは、隆雄の親友の良ちゃんのお宅じゃなかね!」。 隆雄とは浦上さんが可愛がってい甥で、私が訪 問しようとしているお宅は、その隆雄君の一番の親友、下間良君という人のお宅だという。
さっそく、浦上さんは隆雄君を呼んで、案内を命じた。私は、誰の付き添いもなく単独で乗り込む予定だったのだが、偶然にも思わぬ援軍を得ることとなった。それも、百人力の …
後に、その吉里隆雄君は、熊本自動車タイヤ社 長に長く就いた。
緊張して相手のお宅に入ったが、すでに隆雄君の同行を知っていた下間さんのご家族は、私たちを笑顔で迎えてくれた。そこで良君の姉である下間真佐子と初めて会った。
挨拶がひと通り終わると、近くのホテルで二人だけでお茶を飲むことになった。なれない私は、緊張気味で、彼女の リードで話は進み、なんとか無事 “お見合い”は終わった。
大阪に帰って報告すると、父はたいへん喜んで、ともかく急げと結婚をせかした。
1月末、真佐子とお母さんがやって来て、デートとも言えない京都案内をした。二人は京都を気に入って熊本へ帰っていった。3月には、真佐子が一人でやってて来て、もうその時は式の打ち合わせだった。そして5月2日、結婚式は挙げられた。
会ってからわずか5カ月後の、初対面を含めてもたった三回の面会しかない超スピード結婚だった。式は大津の近江神宮で挙げた。
もし父が思いたって友人のところを訪ねていなければ、そもそも話もなかった。もし吉里くんの同行がなければ、お土産持参も忘れた私の訪問はぎこちなく、形式的なもので終わっていただろう。